七五三のお参りに行って来ました。
そう、なんと、もう、七五三!!
うわあーーー
びっくりだーーーー
夏の終わり頃から、
「今年は海那は七五三だからね。」
と ばあばに言われて、
最初は、
「?」
だった海那。
10月には
キモノと、かかとの高いキレイな草履の
リハーサルをして、
かっかに、
「じいじと、ばあばと、じとと、かっかとあまなのみーんなで
神社の神さまのとこに行って、
『海那はここまで元気に大きくなりました、
いつもどうもありがとうございます。
これからも見守っててください』って
ごあいさつにいくんだよ」
と なんども言われて、
どうやらなにか
自分が主役の
特別なイベントなんだなあ
ということを感じ取っていた様子の海那。
部屋に飾ってある着物を見ては、
「あしたシチゴサン?
かみさまのところに ごあいさつにいくの?」
と、ワクワクを募らせていた海那。
ついにその日がやって来ました。
母は、久しぶりにワンピースを引っ張り出し、
父もスーツにネクタイといういでたち。
思えば、二人揃ってそんな正装をしたのは
結婚のご挨拶のとき以来かも・・
と思えば、
その二人と手をつないで、
一個のちいさな人間が、
かみさまにごあいさつに行くんだ
という意志を持って
自分の足で歩いている、
ということに
奇跡 を感じずにいられませんでした。
着物を着て、
待ちきれずにひとりで外に出た途端、
びたんっ!と前につんのめって転倒、顔に泥。
早くも大泣き。
いつもの草履と違って
かかとの高いつるつるした草履はとっても歩きにくそう。
それでも、私が
「この草履、脱ぐ? 脱いでいいよ。」
と言うと、
うつむき加減に首を振って
「うううん」
と答えるのでした。
神社の参道は、ほかの七五三の親子連れや参拝客でいっぱい。
にぎやかななかを、歩きにくい足元を気にしながら
かつてなく慎重に歩く海那。
まるで命綱のように両手をしっかりつないで。
それなのに・・
また20歩も歩いたかと思うとすべって転んじゃう。
なんどもなんども。
ああ、母はそのたびにはらはらです。
なんど、この草履を脱がせてしまいたいと思ったことか。
でも、玄関先で転んだとき以外
それからは何度滑っても、転んでも、一度も泣きませんでした。
ようやく境内にたどりついて、
お参りの番がまわってきて、
父親に抱っこしてもらって
ごあいさつをすると、
あいさつより、みんなの投げるおさいせんが気になって・・
父の抱っこから降ろしてもらうと、
今度は足元の砂利が気になって・・
もうそのちっちゃな石を拾わずにはいられませんでした。
きれいな着物を着たまま
なんのためらいもなく
地面にしゃがみ込んで
無心に石を拾う海那。
彼女のまえに
神社も、神様も、七五三も、お賽銭も、足元の小石も
みんなひとしいんだ。
そのひとしい眼差しに
こんなにも自分はうたれるんだということに気がついた。
ああ、小さな神さまがここにいる。
ちっちゃな巾着に、大事に大事に
砂利の石を入れて(ずっしり)
満足して紅潮した海那の顔を
私は一生忘れないよ。
わたしが、
「あまな、ちゃんと神さまに
いつもありがとう、これからも見守ってください、
って言えた?」
と聞くと、
「ぜんぶ(は)いえなかった」
という正直な返事。
そこで、
「じゃ、もういちど、かっかと一緒に言おうね」
と言って、
「かみさま、
あまなはここまでげんきにおおきくなりました。
いつもどうもありがとうございます。
これからも、どうか、みまもっていてください」
と私が言うと、
あまなも手を合わせて
ひとことずつ、ゆっくりと復唱して、
それはそれはていねいなお辞儀をしてくれました。
その声を耳元で聞いて、
母はかみさまに、
「かみさま、こんなうつくしいひとを
わたしたちのもとへ送ってくれて
どうもありがとうございます」
と祈らずにはいられませんでした。
参拝が終わって、
写真屋さんでみんなで写真を撮って、
じいじとばあばのおうちに帰って、
いとこのみんなといっぱい遊んで、
ごちそうを食べて(おすし!)
あまいあまいケーキもいただいて(クリームいっぱい!)
お風呂に入って、
七五三がぜーんぶ終わって
家に帰って来てきてから、
「今日は楽しかったね!」
と言うと
「うん!」
と大満足の様子。
「今日は何がいちばん楽しかった?」
と聞くと、
「ピカちゃん」(写真屋さんのスタジオにあったピカチュウ)。
との即答。
「今日の草履、すべって歩きにくかったね。
どうして途中で『ぬぐ』って言わなかったの?」
と聞くと、
「だって、だって、きょうはシチゴさんだから
だからあまな、がんばったの」
と、ちょっと愁いをおびた顔でうちあけてくれました。
ああ、
そうだった・・・・
あまなは、自分のことを祝ってくれている
みんなの気持がわかって、
それに応えたいって思っていてくれたんだ、
七五三の3歳っていうのは
そんな「意思」を持ち、それを実行できる歳なんだ、
って思ったら
ふと
3歳のときの自分があらわれて
あのときの、
着物の苦しさ、草履の歩きにくさ、
早く脱ぎたくてたまらないけど
みんなを喜ばせたくて
一生懸命がんばった気持が
どっとよみがえって来た。
そうだった、
自分はいつもお父さんやお母さんを喜ばせて
いいお顔が見たいって思ってたんだってことを
思い出して・・・
胸がいっぱいになってしまった。
そうだね。
こどもは、いつも、親のことを気づかって
親に幸せになってほしいってねがっているんだよね。
親が子どもを見ているように
子どもは親を見ている。
海那が、いつも私に
「かっか、いいお顔して」
と言うのは
そういうことなんだよね。
子どもにとって一番のしあわせ、
って、
それはつまり、
親自身がしあわせであることにほかならない。
親が、
心から
自分を愛し
自分のしていることを愛し、
自分の人生を愛していること。
3歳という、人生の節目に
そんな大切なことを身をもって教えてくれた海那。
いつもいつも、
ホントに
ありがとう。
かみさま、ごせんぞさま。
いつも私たちをまもってくれてありがとう。
七五三という習わしのおかげで
日常よりいっぽ離れて
自分たちのすがたを観ることができました。
ありがとう。
そして
いつも私たち家族を
みまもってくださっているみなさん
ありがとう。
これからもどうぞよろしくおねがいします。
2009年11月1日
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