「あまなはだれがつくったんだろうね?」
「えっ・・?」
思わず聞き返してしまった。
それは、海那のリクエストの「うさぎちゃん」の刺繍をしているとき。
私の傍らで、
「うさぎちゃーん、もうすぐあえるね~
うまれてきたら、あまながだっこしてあげるね~」
と、お針箱のまわりをあれこれいじりながら、
手しごとをしている私にくっついて
話しかけていたときのこと。
「うさぎちゃんできたら、
うさぎちゃんのおとーたんもつくってね、おかーたんもつくってね、」
と言う海那に、
「そんなにみんなすぐには作れないよ、ひとりずつ、ゆっくり、じゅんばんじゅんばんだよー、時間がかかるんだよー」
と私が答えると、
ふと海那の言葉が止まり、
私の手先を見ながら、
しばらくして、
「あのたあ、あのたあ・・」
と、なぜか、もじもじしたようなそぶりを見せる海那。
「どうしたの?」
と私が聞き返すと、
「あのたあ・・・
この、あまなの、この、おなかとか、せなかとか、あたまとかあ、」
(と、言いながら、自分のお腹や背中や頭を
両手でぽんぽんとたたきながら、)
「これ、ぜんぶ、ちゃんとできてるのはたあ、
ぜんぶ、だれがつくったんだろうね・・?」
という問いがやって来た。
うわあああーーーーーーーーーー
びっくりしたようーーーーーーーーーー
2年と半年、この世で生きると、
人はもうそんなことを考えるようになるのか?!
それはもう虚をつかれたとしか言うしかない状態、
すっかりびっくり仰天しつつ、
「そうだねえ、だれが作ったんだろうねえ?
海那はだれが作ったんだと思う・・?」
とかろうじて私が聞くと、
「うーん・・・、わかんない。」
との即答。
「じゃ、だれが作ったのかなあ? って考えてみたらどうかなあ?」
と、どきどきしながら問い返すと、
「うーん、うーん・・」
と、
しばらく考えて、
やってきた答えが、
「しょくにんたん、かなあ・・」
なんと・・・、「職人さん」・・・!
おお、なんと適切な答えなんだろう!
これにはさらにびっくり!!
大まじめな顔の海那を目の前に
決して笑えないまま、
もうひとこと、
「どんな職人さんだろうねえ?」
とさりげなく聞くと、
「えーと・・、
あの、おさんぽのとちゅうで、
こやって、こーじしてる しょくにんさんかなあ・・?」
という、これまた
おおまじめな言葉。
ああ・・
海那の世界は、うつくしい。
うつくしくて、やさしくて、
そしてなんて力強いんだろう。
こんなに近くにいて
毎日いっぱい抱きしめて、頬ずりして、
一緒に遊んで笑って泣いて、
一緒に眠っているのに・・・
この人の生きてる世界と
私の生きている世界はこんなにも違うんだ、
というショックに
うたれてしまった。
こんな、繊細でやさしくて美しい世界の住人と
自分は暮らしているんだ、
と思ったら、涙が出そうだった。
そして、いつもの海那なら、
納得する答えが聞けるまで決して引き下がらないのに
このときは、なぜか、
「そうかあ、職人さんかあ、どんな職人さんかなあ~?」
と、さらに質問する私に、
「うーん・・わかんない・・」
と、答えて、
それ以上は追求する気配を見せず
さりげなく別な興味に移って行ってしまった。
私のなかでは
一瞬のうちに無数の答えが頭のなかをかけめぐったけれど、
何も答えられないままこの話題は過ぎ去ってしまった。
残念でもあり、
心残りでもあったけど、
でも、この問いは、きっとまためぐってくるんだろう。
私に直接投げかけられることはなくても
彼女のなかに何度でも浮かんでは消えて・・
そして、問いを重ねるごとに、
彼女のなかで、答えが育っていって、
その問いを問いかけることが、そのまま
彼女が自分の人生を生き抜く力になるのかもしれない、
そんな予感がした。
そう、私があげたい答えはたくさんあるけど、
でも、人から教えられた言葉をただ鵜呑みにするのではなく、
彼女が自分自身でその答えを感じられるような、
自分の納得できる答えを導き出せるような、
そんな体験を重ねながら生きて行けたらいいな、
と心から願わずにはいられなかった。
あげたい答えはたくさんあるけど、
それが彼女の問いを止めてしまうのでなく、
彼女の問いを解き放つような、
そんな対話や体験を重ねる関係で
一緒に生きて行けたらなあ、
共に育って行けたらなあ、と。
そのために必要なことはなんだろう・・、
と思いをめぐらすと、
問われるのはまぎれもなく、私、自身。
厳然たる、彼女という一人の人格を目の前に、
私自身がどう生きているのか、を、
しっかりと見つめつづけること。
それしかない、と思った。
わたしはだれがつくったんだろうね・・?
なんのためにつくったんだろうね・・?
海那の心のなかに生まれた
あたらしい問いのようにみずみずしく、
私も、私の人生という場でその答えを生きていきたいと
深く静かに願わずにはいられなかった。
母の醍醐味の泉がこんなところにも沸いていて、
今日もその清々しい地下水を
全身にたっぷりあびながら・・
それもこれも、
今日ここにあることのおかげ。
すべてのめぐり合わせに
限りなく感謝しつつ。
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