おニンギョさん、できた!
半年がかり(もっと?)で作っていたお人形が
ようやくできあがりました!
お母さんになったら、子どもにお人形を作ってあげよう
赤ちゃんの傍らでちくちくと・・・
なんて夢見ていたのだけど、
生まれてみたら、そんな優雅な時間はどこにもなく
1歳半を過ぎて、ようやくわずかな隙間に
手しごとの時間を持てそう、と思うことができました。
「あまなのお人形さん、一緒に作ろうね~!」と盛大なふれこみで
わくわくしながら作り始めたものの、
実は相当に手間ひまのかかる地味~な作業の連続。
しかも、一緒に、とは言っても、海那にできることはほとんどなく、
どちらかというと、
「お願いだから手は出さないで~」という現実。
あまなは「なにつくってるの~」と膝に背中に乗ってきて、
「かっかあ~、あそぼうよう~」と腕をひっぱり、首にぶらさがります。
「これなに~?」と裁縫箱のひとつひとつをつまみ出します。
この間、海那は、なんと針の扱い、はさみの扱いが
とっても上手になりました。
「あまなのおともだちの、おにんぎょうさん作ってるんだよ~」と言うと、
「おニンギョさん、どこ?」
「だから、いま、つくってるんだよ。
あまなちゃんとあそびたいって生まれてくるんだよ~」
という会話をなんどくり返したことか・・・
最初は興味津々だったのが、
やがていつまでたってもできあがらないことにしびれをきらしたのか、
「またやってる」「それよりあそんで」という反応になり、
「かっかああ~おニンギョさん、まだあ~?」と持て余した様子。
海那の傍らで15分以上の作業はできませんでした。
そして、いよいよボディに腕がつく、という工程のとき。
腕の付け根をかがるのがなかなかすすまず、
何日もボディから羊毛がはみ出したままの姿でいるのが気になったらしく、
「おニンギョさん、お手て、どうしたの?」
「今ね、お手て、つけてあげてるところなんだよ」
と言うと、
はっと、自分の脇の下へ手をやり
「あまなは・・もうできてる・・? ちゃんとくっついてる・・?」
と大まじめな顔で調べだしました。
思わず笑いそうになりながら、
「大丈夫だよ、海那は、お手てもあんよも、
ぜーんぶちゃんとくっついて、完璧にできあがってから生まれて来たんだよ」
と言うと、
「とっかとっか~(そっかそっか)、とうだったねえ~」
と安心して、もうどこかへ遊びに行ってしまいました。
なんていとしいヒトなんだろう。
思わず針をおいて、後ろ姿を見つめてしまった。
この会話を交わせただけでも、
お人形を作った価値はあったなあ
彼女は、いのちが生まれるには時間がかかることも、
自分が今生を生きるのに完璧な形で生まれて来たことも
その心に感じ取ることができたんだなあと・・
その後も、人形がヒトの形になるにつれて、
「おニンギョさん、なんではだかなの?」と心配してくれたり、
無事に髪の毛がついて、
「もう抱っこしていいよ」と渡してあげると
まるで自分がかわいがってあげなきゃという様子で
顔の横にぎゅっとくっつけて、しっかり抱きしめてくれました。
「お人形さんになんて名前つけてあげようか~」
と言うと
「おニンギョさん」との即答。
「え・・もうちょっとかわいい名前はどうかな~?
いちごちゃんとか、エリザベスちゃんとか~?」
「だって、おニンギョさんは、おニンギョさんだもん!」
ということで、
お人形さんのなまえは、「おニンギョさん」になりました。
(「お人魚さん」にも聴こえます;)
名前が決まってよかったね!
お人形は嬉しいこと悲しいことをなんでも分かち合える
大切な友だちでもあり、自分の分身でもあり、
いつもそばにいてくれて、
遊んだり、お世話をしてあげたりしながら
一緒に育ってゆく同志のような存在。
私も幼いとき、ずいぶんいろいろなときに
助けてもらった気がします。
作っているお人形が、ようやく抱っこできる形になったとき、
嬉しくて思わず抱きしめると
お人形はやわらかくて、あたたかくて、きもちよくて、
ただ抱っこしているだけで気持が落ち着いた
幼い頃の「あの感じ」がよみがえりました。
そんな感覚が自分のなかに眠っていたことにも驚いてしまって、
そのぬくもりの体験が
私の成長の年月の中でどんなふうに作用していたんだろう、
と思いを馳せれば、
それはどのまま
目の前の海那がどんな育ちの日々を生きていくのだろう、
という眼差しにつながり、
それを共にする自分自身のこれからの旅へと還元し、
ほんのり笑っているように見えるお人形をまえに
思いはどこまでもめぐり、広がっていくのでした。
おニンギョさん、
ここへ来てくれて
どうもありがとう。
一緒に、育っていこうね。
海那:2歳5ヶ月
最近のコメント